あきちゃんどすの

その日その時に思ったことを書いておくためのブログです。

出産・成長・赤ちゃんを健康に元気に育てて行く為の苦労

初めての子育て、インターネットが普及しておらず子育て情報は病院か雑誌か子育て中のお母さんより入手するのが主でした。少ない情報の中、赤ちゃんを健康に元気に育てて行く為の妻の苦労、夫にはマネの出来ない事です。

初めて出産・子育て開始

陣痛連絡が病院から入ったのは夜中2時頃、急いで病院へ急行し到着は3時前待合室にて待つ事6時17分 男子誕生と看護婦さんより知らせを受けました。

始めて対面するわが子は、顔がくしゃくしゃでかわいいと表現出来る子ではありませんが時間が経過すると、くしゃくしゃな顔がふっくらと赤ちゃんと表現出来る状態に変化していくのが分かり、ベビーベットに名前が書かれていて、足首に荷札がり、この頃父親の実感が沸いて来た事を思い出します。

退院後、子育ての開始です。出産より一ヶ月位が妻のメンタル維持が大変、3時間ごとの授乳、おむつ交換、夜泣き等の為2週間位妻の実家で養生後アパートへ帰って来ました。ここからが二人の子育ての始まりでした。

 

子育て・現実

初めての沐浴、左手で首をおさえ、両耳を水が入らない様ふさぎ右手でベビー石鹼を付けながら洗う。毎日やっていると赤ちゃんの成長と共にベビーバスが狭くなり足で角を蹴飛ばす様になります。そろそろベビーバス卒業の時期に入り、一緒にお風呂へ入る時期になって来ます。お風呂当番は出来るだけ夫がやりました。一緒にお風呂に入り、体を洗いシャワーで流し又お湯に入る。着せ替えは妻の役目。少し大きくなりつかまり立ち出来る様になると、湯船にオモチャを浮かべ一緒に遊んだものでした。

始めてミルク授乳時は、ミルク授乳の後に体内に入った空気を出す為ゲップをさせる事等分からない事だらけでした。幼少期の子育てはあっという間に終わってしまいます。

 

産後3ヶ月後6ヶ月出張から帰ると、子供の成長は著しく貴重な息子の成長が途切れ途切れしか見る事が出かなかったのが寂しく思いました。

初めての子育て、夜泣きも結構しましたが情報が少なく、何故夜泣きするのか原因が分からないまま泣き止むのをひたすら待っていた様に記憶しています。

出張から帰ると夜泣き対応は出来るだけする様に心掛け、あやして寝付く時は良いのですが、泣き止まない時はミルクとおむつ交換と実施していました。

インターネットの普及も無く、子育て情報は本と病院から入る位で初めての子育て、体力も気力も使い切った記憶が有ります。

出張より戻り駅に妻と息子が出迎えると毎回ですが息子は妻の陰に隠れどこのおじさんと表情をして警戒心丸出し抱っこをすると必ずと言って良いほど泣いていました。

 

子育て・遊び

子育てに慣れてくると休みの時は、近くの公園へ遊びに行く事が楽しみになり、休みが近づくと何処に行って遊ぶか息子と話し会うが日課になっていました。妻と3人で行くか、息子と2人で行くか決めていました。妻の毎日の育児疲れを軽減する目的で息子と二人散歩や近くの公園へ何時間か遊びに行く事を意識的に作る様にしていました。

公園は昔からある遊具の中にも一歩間違うと危険と隣り合わせになる遊具が設置してます。

遊びを通じ、何を教えるか何処に危険が隠れているか毎回考えながら息子と接していましたが、わざと危ないと分かっていても、多少の切り傷程度の事は体験させれる様、傷バン・傷薬・シップは必ず持参していました。

私の危険の基準は、小学校の体験、父親より受け継いだ体験、社会人になり危険予知訓練受講の体験等がベースになります。

現在イクメンと呼ばれている事を当時やっていた様ですが、手のかかる時期を一緒に居れない事が寂しく思っていた事を思い出します。

 

子育て・第一子と第二子の違い

二番目の娘は、息子と4歳離れています。2番目の子はかなり手抜きおおざっぱな育て方をしたのか出産よりずっといたのですが、困った事、悩んだ事をあまり記憶残って無く、多分夜泣きはしたと思いますが息子の時の鮮明な記憶が無く困った父親です。2番目の子供となると沐浴、おむつ交換等経験が有るので悩む事無く対応出来たと思います。

娘と二人で外遊びの記憶は数える位しか無く、夏の砂浜で水遊びをしている内に海水が上がって来て今まで砂の所が海水に埋まり潮の満ち引きを教える機会が出来たくらいです。当然二人とも水浸し、バスタオルを巻き帰ったものでしたが帰って砂まみれの体で、自宅へ上り速攻風呂に入った事懐かしく思い出します。

何故か、息子の写真、ビデオは沢山撮ったのですが、娘の写真、ビデオは途中から撮っていないのです。今思うと、娘の写真、ビデオ撮影はなぜか数が少なかったのです。

1歳の誕生日に1升餅背負わせ歩き祝いをする行事があります。子供の健康、すくすく育つ事を祈り行う行事です。一生食べ物に困らない様に、これからの一生が健やかになるようにとの願掛けの様です。

息子は1歳の誕生日に両親を招き風呂敷に一升餅をくるみ息子に背負わせ歩かせ祝いましたが、娘の記憶が無く、娘の1升餅背負わせはやらなかったのでしょうね。

娘は3歳頃から楽器に興味を持ち、ヤマハエレクト-ン教室に通い始め小学校入学まで続いていました。年に何回かの演奏会は必ず見に行き上達したわが子の姿楽しく応援していました。

息子は小学生よりバトミントンを始め下手なりに続け中学校・高校とバトミントンを継続、しかし娘はエレクトーンより始め、小学校は六年間バトミントン、中学校は三年間吹奏楽、高校は三年間放送局、兄妹でも当然性格が違い成長過程を楽しく見守れた事、うれしく思います。

 

今は必要な情報を比較的簡単に入手出来る時代です。不安を解消し快適な子育てに応用いたしましょう。